流山の地勢からみる「白みりん」の誕生

流山白みりんの魅力

江戸川の土手沿い。天気が良いと富士山やスカイツリーを見ることができ、憩いの場となっています

流山ってどんなところ?

千葉県北西部に位置する流山市は、秋葉原駅からつくばエクスプレス快速で約20分の緑豊かな住宅都市です。特に流山おおたかの森駅は大型ショッピングセンターやマンションが建ち並ぶなど開発が進み、「送迎保育ステーション」などの子育て施策が充実していることで30代から40代のファミリー層から注目を集めています。

その一方で、歴史ある古いまち並みが残るエリアが、江戸川沿いに位置する流山本町です。全6駅、全長5.7kmのローカル線としてレトロな雰囲気で人気の流鉄流山線。その始発・終着駅でもある流山駅を降りると、水運と白みりん醸造で栄えた記憶が息づくまち並みが広がります。

流鉄流山線の流山駅や平和台駅から程近い旧市街地の通りには、蔵造りをはじめとする古い商家が並び、なかには呉服新川屋店舗や寺田園旧店舗などのように国登録有形文化財となっている建築物もあります。これらの歴史的建造物の多くは白みりん醸造で栄えていた明治時代の建物です。これらの古民家がカフェ・レストランやギャラリーとして生まれ変わり新たな魅力となっています。

寺田園旧店舗は、現在日本茶をテーマにしたカフェ「葉茶屋 寺田園」として営業

流山の恵まれた地勢

江戸情緒が残るまち並みで、散策が楽しめる流山本町ですが、なぜこの地で白みりんが生まれて発展したのでしょうか。今回は地理的な要因から考えてみたいと思います。流山という地名は江戸時代初期の書物などで確認されており、近世初頭には村として成立していたと考えられています。江戸川左岸の自然堤防に沿って集落が形成されており、江戸時代前期に江戸川が開通したことで、流山は水運によって大消費地・江戸とつながります。朝の4時頃に流山を出発すると夕暮れには江戸へ着いていたようです。

醸造業が栄えた背景に、この江戸川という豊富な水源の存在があります。清らかな水と、その水で育まれる米。近隣に稲作に適した土地に恵まれたことも、米が主原料となるみりん造りにおいて重要な要素でした。

このような立地条件や自然環境により醸造業は盛んになります。流山という土地そのものが、みりん醸造に適していたのです。

実は、明治時代・大正時代には、白みりん2大ブランドである堀切紋次郎の「万上」と秋元三左衛門の「天晴」のほかにも、寺田豊松や寺田平右衛門の「麗泉」、永瀬葛太郎の「白雪」があったとされています。残念ながら、「麗泉」と「白雪」は現代には受け継がれていませんが、流山がみりん醸造で栄えていたことがうかがえます。

みりん生産量(製成数量)日本一を誇る千葉県

現在、全国トップのみりん生産量(製成数量)を誇るのは千葉県。酒造業が盛んな関西地区の兵庫県や三河みりんで知られる愛知県よりも多く、全国のみりん生産量(製成数量)の約40%をしめています(令和2年 国税庁統計年報より)。

江戸時代後期、試行錯誤を重ねながら開発したとされる白みりん。明治時代、大正時代には多くの書物や資料に登場します。大正時代に刊行された『中学地理学』の教科書には、江戸川左岸は醸造業が盛んで「流山のみりん、野田・銚子のしょうゆ、佐原の酒」と記載されるほど、流山のみりんは有名でした。流山で白みりんが誕生した背景には、江戸・日本橋の河岸に直結する水運に加えて、江戸川の清らかな水、そして、稲作に適した土地に恵まれていたことがあったのです。

伝統的な古式造りでゆっくりと時間をかけて仕上げた「流山本みりん」。かごや商店で販売

クイズ感覚で挑戦!「流山白みりんビギナー」検定

2023年10月中に当公式サイトにて「流山白みりんビギナー」の問題が公開されます!

2024年1月には流山白みりん検定の本受検「流山白みりんマイスター」がはじまります。その前に、みりんについてどれぐらい知っているのか、試しに10問受けてみませんか?

https://nagareyama-shiro-mirin.jp/index.php/exam/

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